平安時代末期。 平治の乱にて、危うく一死を免れた源頼朝は、 平清盛の命によって十四歳で伊豆に島流しにされた。
二十年後、頼朝三十四歳のとき、源行家が諸国の源氏一門に 広めた以仁王の令示によって、平氏追討の兵を挙げることとなる。
頼朝は、北条義時、土肥実平などを擁し、 伊豆の目代である山木兼隆を急襲して倒し、大将としての初陣を勝利で飾った。
この山車は、その出陣の場面を飾ったものである。 |
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享和2年(1802年)、長寿で死んだ摂州西成郡の 百姓・左右衛門の子、佐太郎は 身長が二尺に満たない大頭の小人であった。
しかし、これが幸いして、 幸運に恵まれた生涯を送ったことから その姿を福徳招来の縁起物とし、 江戸で「叶福助」の人形が流行したという。 |
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