南部盛岡藩開祖である第二十六代・南部信直公は、 盛岡城築城をなし、現在の盛岡の基盤を作った人物である。
元は三戸(青森県三戸町)を拠点としていたが、 豊臣政権崩壊前夜の世情の混乱に乗じて領土拡大を図った 仙台藩主・伊達政宗からの領土防衛のため、拠点を盛岡に移したのである。
第二十七代・南部利直公は、父・信直の跡を継ぎ、盛岡藩 初代藩主となる。関が原の合戦に出陣の支度を進めていた 1600年に伊達政宗の煽動により領内で発生した和賀一揆を鎮圧し、 以降は盛岡城下の整備や、金山の発掘などを中心とした 領内の財政基盤の整備に尽力した。
この山車では、盛岡の基礎を築いた二人の雄姿を飾ったものである。 なお、左が南部信直公、右が南部利直公である。 |
|
盛岡の名所のひとつである石割桜。
この石割桜は、市の中心部・現在の盛岡地方裁判所の 敷地内に位置する。
もとは南部藩の家老だった北家の屋敷跡で、 屋敷の花崗岩にひび割れができ、その割れ目に 桜の種が落ち込んで、生育したものだといわれている。
仙北町 は組は、本年4月、この石割桜の下で、纏振りを執り行った。 本年の山車は、その様子を山車に飾っている。 |
|