源九郎判官義経−。 平治元年(1159)、河内源氏の将・源義朝の九男として生を受けた源義経は、 幼名を牛若(やがて遮那王とも呼ばれる)といい、 鞍馬山で修行を受けた後、奥州平泉にて藤原秀衡の庇護の下で成長。 元服し、名を九郎義経と改める。
同じ頃、兄・源頼朝が、平氏追討の兵を挙げると、その軍に合流し、 やがて源氏の総大将として、「逆落とし」の奇襲で、一ノ谷を一挙に攻落し、 続く屋島の戦いでも海戦で勝利し、壇ノ浦の合戦において、 源平の合戦に終止符を打った。
しかし、度重なる勲功の中で源氏の棟梁である兄・頼朝の許しを得ず、 勝手に叙位を受けたり、頼朝の命令に従わなかったために、 次第に頼朝は義経に対して謀反の疑いをかけ、 ついに、義経追討の軍を挙げるのであった。
源氏の総大将として平家との合戦に疾走する九郎義経。 実直に、そして大胆なその戦法は義経自身の生涯そのものであった。 この山車では、そんな義経の躍動感あふれる姿を飾っている。 |
|
盛岡市本宮に鎮座する大宮神社は、約1200年の歴史を誇る古社である。
この歴史とともに、伝承される大宮神楽。 中でも、この山車では、弁慶の場面を飾る。 |
|