時は平安末期。源義経を攻撃の総大将とする源氏と、 平宗盛、平知盛を総大将とする平氏の合戦は、義経による 一の谷の奇襲(鵯越の逆落とし)を期に、次第に源氏が優勢となる。
平氏は、体勢を立て直すべく、得意の海戦で屋島にて 源氏を迎え撃ったが、奮戦虚しく源氏の優勢は変わらなかった。
この屋島合戦の折、逃げる平家の船を追って、 海中に馬を乗り入れた源義経は誤って弓を海に落としてしまう。 拾おうとする義経に向かって、敵は長刀や熊手で襲い掛かってくる。
味方の家来は、諦めるように言うが、義経は諦めず、弓を拾い上げる。 家来が理由を尋ねると、叔父・源為朝(鎮西八郎為朝)のような強弓ならば 敵にくれてもよいが、源氏の総大将がこんな弱弓を使っていては、 源氏一門の恥になると、命をかけて拾ったのだと語ったと伝わる。
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源氏の大将、源義朝の九男として 密かに鞍馬山で育てられた牛若丸は、やがて京にて妙な噂を耳にする。
それは、毎夜毎夜、五條大橋の上で平家方の公達から 刀を盗る大男が出るというものだった。
ある晩、牛若丸は五條大橋の上でこの大男・武蔵坊弁慶に出会い、 弁慶を降参させ、家来にすることにしたのである。 以降、弁慶はこの若者に生涯忠義を誓うのであった。 この見返しは、五條大橋の上で武蔵坊弁慶と出会った牛若丸を表現している。 |
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