早川鮎之助(はやかわあゆのすけ)―。
戦国時代、尼子氏は、毛利元就によって月山富田城を終われ、 家臣達は別れ別れになってしまった。 尼子十勇士の一人であった山中鹿之助は、尼子氏再興のため 諸国を巡行中、ある山中の急流で戸板を立てて川を堰き止め、 鮎を取っていた怪力無双の若者に出会う。
この若者に、早川鮎之助を名乗らせ、尼子の勇士に加えたのである。 後、囚われの身の主君を単身、賢固な番所に忍び込んで救うという 大きな殊勲を残した勇士である。
二番組は、元来この「早川鮎之助」や「番隋院長兵衛」など、 裸人形を使った演題の創作に定評があり、盛岡でこの早川鮎之助 を作れる組は現在おそらく、この二番組だけだろうと評されている。 |
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吉原遊郭の周辺で、 鳥売りが廓の生活模様などを語り踊ったと言う場面。
なお、この山車の鳥売りの女性の籠の中には ちゃんと雀の人形が入っていて、 細部までしっかりと作りこんである。 |