享保四年、江戸南町奉行・大岡越前守は頻発する火災に備え、
江戸いろは四十八組を作った。
当時の江戸火消の本組は、二十五名で編成された火消組だった。
中でも、銀次は纏取りとして当代一といわれ、
日本一の纏取り「日本銀次」と呼ばれたと伝わっている。
手古舞とは、かつて芸者が男性風の扮装をして
山車の先導をしたことに起源がある。
この山車では、現在もなお山車を先導する手古舞の姿を飾る。