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三代盛岡藩主・南部重信公は、

盛岡の街の原型を作ったと言っても過言ではない人物である。

 

その功績は、水害の多かった北上川流域の流路を切り替えた

治水事業、現在の馬場町付近である杉土手の造営、

新山船橋の設置に加え、志家山に町人たちが参拝できるよう

新八幡宮を設置したことや八幡町界隈の整備など、多岐に渡る。

 

本年のは組は、仙北町がこの重信公による盛岡の大改編によって

交通の要所という重要な役目を担ったことから、その功績を讃え

重信公の勇壮豪華な騎馬武者姿を飾る。

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七ツ瀧岩平は仙北町出身の力士で、天明六年の番付、

東二段目十枚、東三段目十枚に名前が残っている。

 

これは現在の十両に当たる。

七ツ瀧は、引退後に火消として活躍したと伝わっており、

寛政四年に盛岡の火消組が誕生した際、

「は組」を創始したと言われている。

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