関羽雲長(かんううんちょう) 中国・後漢末期の武将にして「三國志」の英傑の一人。
蜀の創始者にして、漢王朝の復興を画策する 劉備元徳(りゅうびげんとく)の忠実な義弟であり、 並外れた武勇伝や義理を重んじる人柄は、 敵味方問わずに讃えられたほどである。
建安5年(200年)、劉備元徳が、 東征してきた曹操に敗れた際、関羽は曹操の捕虜となる。 曹操は、忠義に篤い名将と名高い関羽を手に入れたいが為、 捕虜である関羽を手厚くもてなし、官職をも与えるほどであったが、 この時、官職のほかに与えたのが、 千里を走ると名高い稀代の名馬「赤兎」であった。
乗り手を選ぶという気性の赤兎を乗りこなした関羽は、 この暴れ馬を賜ったことを喜ぶ。これに曹操が、なぜ嬉しいのだと 尋ねると、「自分がいついかなる場所にいても、この馬なら兄者・劉備 の元に必ず馳せ参じられるからだ」と答え、その忠義深さに、 曹操は感心したと伝わる。
この山車では、青龍偃月刀を片手に、 単騎で千里を走ったと言われる稀代の名馬・赤兎(せきと)に跨り、 敵陣へ猛然と突進する姿を飾る。
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劉備元徳が、「三顧の礼」 (この故事自体が、劉備と諸葛亮のできごとを表している)によって 臣下に迎えることのできた稀代の知将である。
赤壁の戦いなどでもその知将ぶりを如何なく発揮し、蜀の平定に尽力した。 歴史上の賢人、知将、策士といえば、 諸葛亮孔明の名が出るほどポピュラー。 |
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