関羽雲長(かんううんちょう) 中国・後漢末期の武将にして「三國志」の英傑の一人。
蜀の創始者にして、漢王朝の復興を画策する 劉備元徳(りゅうびげんとく)の忠実な義弟であり、 並外れた武勇伝や義理を重んじる人柄は、 敵味方問わずに讃えられたほどである。
建安5年(200年)、劉備元徳が、 東征してきた曹操に敗れた際、関羽は曹操の捕虜となる。
曹操は、忠義に篤い名将と名高い関羽を手に入れたいが為、 捕虜である関羽を手厚くもてなし、官職をも与えるほどであったが、 この時、官職のほかに与えたのが、 千里を走ると名高い稀代の名馬「赤兎」であった。
乗り手を選ぶという気性の赤兎を乗りこなした関羽は、 この暴れ馬を賜ったことを喜ぶ。
これに曹操が、なぜ嬉しいのだと尋ねると、 「自分がいついかなる場所にいても、この馬なら兄者・劉備の元に 必ず馳せ参じられるからだ」と答え、その忠義深さに曹操は感心し、 後に関羽が宿敵である劉備の元に向った際に、 追っ手を差し向けることなく向わせたと伝わる。
また、中国では商売繁盛の神とも伝わり、 横浜・元町を始めとする日本各地の中華街にも 関羽を祀った廟がある。
本年の山車では、名馬・赤兎に跨り、青龍偃月刀を翳して 戦陣に突入する勇猛果敢な関羽の姿を飾る。
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中国の伝説・「西遊記」でも有名な上仙。 東勝神州・傲來国(とうしょうしんしゅう・ごうらいこく)の 花果山(かかざん)の岩から生まれた石猿で、 数多の猿を従えて、地上の王として君臨し、 斉天大聖(せいてんたいせい)を自称する。
天界で大暴れし、あろうことか天帝のみが 食べることを許される不老不死の桃を 根こそぎ食べてしまい、さらに天界の秩序を乱したため 天帝の怒りを買い、余りの乱暴ぶりに手に負えない天帝が 助けを求めた釈迦如来の法力によって、 五行山の岩に封印されてしまう。
これを解いたのは、観世音菩薩を信ずる高潔な僧・玄奘三蔵。 乱れた中国の治世を正すべく、仏法を広めようと苦心していたところ、 時の皇帝より、天竺(インド)・大雷音寺に納められた 三蔵心経を唐に持ち帰ることを求められ、 玄奘がその旅の僧に選ばれたのであった。
釈迦の術を解かれた悟空であったが、 以降、道中、出会った猪八戒、沙悟浄と共に、 遥か天竺・大雷音寺に納められた三蔵心経を求め、 玄奘に付き従うことになるのであった。
山車では、武器である如意棒を片手に、 筋斗雲に乗る孫悟空の姿を飾る。 |
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