―磐石太郎 いしづえ―
「志ばらく」-俗に歌舞伎十八番の内と呼ばれる、 成田屋(市川家)十八番のお家芸でも最も有名な演題。
「暫」の舞台には、花道より登場してきた 暫(=鎌倉権五郎景政)が長ゼリフを謳い上げる 「連ね=ツラネ」という見せ場がある。
その「暫の連ね」に掛けて、江戸に大地震が発生した際、 その被害の様子を伝える錦絵として、地震で家が潰れた 暫(=磐石太郎礎)が外で寝なければならないという 被害状況を記した「暫のそと寝」という絵が描かれた。
家が潰れた磐石太郎礎は、地震を起こした大鯰を取り押さえ、 地震を治めると伝わる「要石」を乗せて見得を切り、 地震の被害状況の口上をとうとうと語るのである。(=暫の連ね)
昨年発生した東日本大震災からの「復興元年」の本年、 盛山會さ組の山車は、この「志ばらくのそと寝」に、 現代の錦絵として、昨年の地震の被害状況を写し、 昨年の大震災を後世にも伝えていくこと、そして何より二度と このような地震が発生しないようにという祈念の演題を飾った。
なお、磐石太郎礎の背後には、「東日本大震災犠牲者 鎮魂」 という額を掲げているのも、本年のさ組の山車を象徴するものであった。
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南部家第14代当主・利剛公の妻・明子様は、 水戸徳川家・徳川斉昭の息女で、 徳川15代将軍・慶喜公の姉である。
盛岡にお輿入れした際、その居所を神子田町に作られ、 紫波稲荷を篤く信仰したと伝わる。
神子田界隈の町人からは、「荷姫(なりひめ)様」と大変評判を得たようで、 藩御取り潰しとなり、藩政が終了するまで神子田に住まわれた、
本年の山車では、盛山會さ組が神子田を拠点としていることから、 この神子田に所縁のある「荷姫様」の姿を飾る。
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