紀伊國屋文左衛門(きのくにや ぶんざえもん)―。 江戸・元禄時代の豪商。
紀州・湯浅(現在の和歌山県有田郡)出身。
20代の頃のある年、紀州はみかんが豊作だったが、 江戸の海路が嵐でふさがれたため、 関西ではみかんの価格が大暴落、 一方、関東では高騰するという珍事が起きた。
文左衛門はこれを好機とにらみ、 大金を借りてみかんを買い集め、ぼろ舟を修理して、 嵐の大海原へと漕ぎ出す。
死に装束に身を包み、まさに「決死の覚悟」で、 大波を超え、風雨に耐え忍び、ついに江戸で高値でみかんを商い、 財を成したのである。
また、大坂(現在の大阪府)で洪水が起き疫病が流行ると、 今度は、塩鮭を大坂に運び、塩鮭を商い、財を築いたといわれる。
これらで大商いをした後、江戸で材木問屋を開くものの、 木場(材木保管庫)を火災で焼失し廃業。
幕府から十文銭の鋳造を請け負うものの、 これも質が悪いという理由から通用が停止され、 文左衛門は商売を辞め、晩年は俳人として創作に没頭したと伝わる。
本年の山車は、そんな文左衛門が豪商として 名を馳せるきっかけとなった「みかん船」の伝説を飾る。
なお、本年は台風18号が日本列島を直撃、 祭典2日目、3日目の盛岡市は豪雨に見舞われる中の巡行だった。
殊に、3日目は他の出場組が午前中にて巡行を切り上げる中、 暴風雨に見舞われる盛岡市内をの組の山車はただ一基、 最後まで巡行を続ける心意気を見せた。
雨除けのビニールもあまりの風雨に外し、 最後はさながら文左衛門が荒海を越えるような様相を見せた。
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紀伊國屋文左衛門のみかん船が運んだ紀州みかんは、 江戸の町で大いに売れ、みかんを売る町娘には 人だかりができるほどだったと伝わる。
本年の見返しは、みかんを売る娘を飾る。 |
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