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加藤清正(かとうきよまさ)―。

 

戦国(安土・桃山)時代の武将、豊臣秀吉の忠臣の一人。

天正10年(1582年)、本能寺の変の後、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)に

従って、山崎の戦いに参加。

翌年の秀吉が柴田勝家と争った賤ヶ岳の戦いにおいて武功を挙げ、

福島正則・脇坂甚内安治らと共に、「賤ヶ岳の七本槍」と称された。

 

天正14年(1586年)からは秀吉の九州征伐に従い、

佐々成政に代わり、肥後国の領主となる。

 

文禄元年(1592年)からの文禄・慶長の役において、朝鮮に出兵。

この際、陣地付近に現れた猛虎に、清正の軍は悩まされる。

 

馬や家臣が被害にあい、これに激怒した清正は、

自身の槍一本でこの虎を退治し、士気を挙げたと伝わる。

 

本年の三番組の山車は、

この猛虎を倒さんと槍を構える清正の雄姿と、

今、まさにとびかかろうと迫る猛虎の姿を飾り、

南部家由縁の動物として、また、

盛岡山車に伝わる「獅子音頭」の始祖として、

三番組の象徴「虎」の山車を曳き出した。

 

 

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日本神話より。

 

弟橘媛(オトタチバナヒメ)は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の后。

熊襲(クマソ・現在の九州)を平定した

大和国の第二皇子・小碓命(オウスノミコト)は、父・景行天皇から、

日本武尊と名を改めることを許され、その名の通り、

日本を平定するための東征を命じられる。

 

この東征に同行したのが弟橘媛。

天照大神ゆかりの社に使える巫女で、天命により日本武尊の后となる。

伊勢より海路を東に向かう2人は、走水(現在の浦賀水道)において、

日本武尊の軽はずみな行動によって海神の怒りを買ってしまう。

 

それまでの穏やかな海とは一転して、

荒れ狂う波に舟は行き場を失ってしまう。

 

その時、弟橘媛は、海神の怒りを収めようと自ら入水。

するとたちまち、荒れ狂った海は元の穏やかな海に戻り、

日本武尊は見事、東征を果たすことができたのであった。

 

 

本年の見返しは、

海の神である龍神に立ち向かう弟橘媛の姿を飾る。

 

龍もまた、三番組の歴史に縁深いもので、

三番組という組織の成立の過程で、長田町にあった「龍吐水組」の

龍にあやかった見返しとなっている。

 

 

 

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