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鬼同丸ともいい、大江山に巣食った伝説の鬼である
酒呑童子の子と言われている。
 
父、酒呑童子は大江山にて源頼光により討たれ、
鬼童丸は頼光を父の敵と付け狙うようになる。
 
ある日、鬼童丸は頼光が鞍馬に参詣することを知り、
鞍馬への道中である市原野に赴き、
野牛を一頭仕留めてその内蔵をくり抜き、
牛に化けて頼光一行の到来を待った。
明くる日、頼光一行が市原野に差し掛かると、
牛の群れの中に一頭、不審なものを見つけ、
「頼光四天王」の一人で、羅生門の鬼を退治した渡辺綱に、
牛を射させた。
牛の中に隠れていた鬼童丸はその矢をかわすと、
頼光に飛び掛かったが、頼光の一刀の元に斬り伏せられたのである。
 
歌舞伎の「御贔屓竹馬友達」(市原野のだんまり)にも
脚色され、伝えられる仇討物語である。
 
本年の演題では、市原野に潜む鬼童丸と、
仕留められた牛の姿を舞台いっぱいに飾る。

本組としても、盛岡山車としても、
昭和51年(1976年)以来、38年ぶりの演題であった。
 

 

 

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鳶職はかつて、町の自治集団、自警組織的な役割を担っていた。
主な職域としては、家屋の組み立ての一切、
解体の一切を行うことだが、この職域が火事の際には多いに役立ち、
云わゆる「町火消」に参加する多くの者が、鳶職の者であった。

江戸時代、火事の際には、鳶口などの用具を用いて
延焼防止のため近隣の家屋を解体することが専らで、
その際に鳶職の技術が重宝されたため、
このようになっていったと思われる。

また、この町火消を兼任するということは、
自治体の祭礼や各種行事を取り仕切ることにも繋がり、
盛岡でも、現在の山車の基盤を作ったのが町火消であることにも
繋がっていくのである。
 
山車としては、本年6月の「六月大歌舞伎」で、病床から復帰した
十五代 片岡仁左衛門が「お祭り」にて粋でいなせな鳶頭を
演じたことにヒントを得て、6年ぶりの参加の本年、
この粋でいなせな鳶頭を飾った。
 

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