鍾馗(しょうき)は、中国に伝わる道教の神。 悪霊退治や魔除け、疱瘡除けの神として、現在では 端午の節句に飾られることも多い。
俗説では元々、中国の唐の時代に実在した人物とされる。
唐代の玄宗皇帝がマラリアに感染し病床に伏せてしまった時、 夢に小鬼が現れ、玄宗皇帝をからかってきた。 玄宗皇帝が人を呼ぶと、どこからともなく大鬼が現れ、 この小鬼を難なく捕らえて食べてしまう。
玄宗皇帝が大鬼に正体を尋ねると、 「自分は終南山というところに住んでいた鍾馗という者で、 科挙の試験を受けたが落第し、それを恥じて宮中で自殺してしまった。 そんな自分を、高祖皇帝は手厚く葬ってくれたので、 その恩に報いたかったのだ」と告げた。 ふと、玄宗皇帝は夢から覚めると、自分の病気が治っていることに気付く。
以降、玄宗皇帝は、鍾馗の加護を広めるため、 絵師に鍾馗の絵を描かせ、災厄からの守り神としたと伝わる。
この伝説は日本でも広まり、鍾馗は、端午の節句に 子どもたちの疱瘡除けの意味を込めて、絵紙が飾られるようになった。
また、江戸時代から山車にも多く取り上げられており、 神田祭や山王祭の山車にも出た記録が残っている。 当時の山車は、氏子町内の子どもたちの疱瘡除けや 家内安全等を願って出されたようである。
本年の盛岡観光コンベンション協会の山車は、 記録に残る限り、明治26年(1893年)以来、 実に122年ぶりの演題選定。
守り神である鍾馗を山車に飾り、 盛岡のまちの更なる繁栄を願って飾られた。
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歌舞伎の長唄「雨の五郎」で「廓通いの五郎」とも言われる。
曽我五郎時致が、仇である工藤祐経を油断させるため、 金糸・銀糸の蝶の模様の着付けで、 化粧坂の少将の許へ通うという物語。
黒地の着物に色とりどりの鮮やかな刺繍を施し、 青の番傘をかざす、華やかな場面を飾る。
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