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後藤又兵衛(後藤基次)は、戦国時代の武将。

黒田官兵衛に仕えた後藤又兵衛は、荒木村重の織田信長に対する
謀反に従った叔父・藤岡久兵衛の一族ということで、
官兵衛が村重の土牢から救出された後に、

官兵衛の元を追放され、越前の仙石氏に身を寄せたが、

羽柴秀吉の九州攻めによる兵力増強にあたり、
官兵衛の嫡子・黒田長政は、再び又兵衛を登用。

この際、官兵衛は長政に対し、過去の経緯から又兵衛を直接仕官させず、
黒田家家臣・栗山善助の家臣として、播磨国に戻させる。

又兵衛はめきめきと頭角を現し、豊前一揆や朝鮮出征においても活躍。
栗山善助の家臣ながら、黒田家の家臣と同等に扱われるようになった。

そして、慶長5年(1600年)、徳川家康率いる東軍と
石田三成率いる西軍によって争われた関ヶ原の戦いでは、
東軍に加勢した黒田長政に従い先鋒として従軍。敵陣にも果敢に挑み、
石田三成の家臣の剛槍使い・大橋掃部を一騎討ちで破るなどの
勲功を挙げる。

本年のと組の山車は、この関ヶ原の勇壮な騎馬姿を飾る。

 

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盛岡はりんごの産地としても有名で、

岩手県内のりんご生産量第1位である。

 

殊に中野地区は、盛岡りんごの生産が始まった地域であり、
現在でもその中心ということで、中野の名産となっている。

この見返しには、りんごを摘む娘を飾り、中野の誇る

「盛岡りんご」ブランドを発信する趣向である。