時は寿永3年(1184年)2月。 搦手の義経は、丹波路を次々に攻落し、ついに2月7日、 天然の要害ともいうべき断崖を背に油断する平家軍を見るや、 空馬2頭を落とし、1頭は途中で足をくじいたものの、 我に続け!」と義経自ら先陣を切って、この断崖に馬を進み入れたのであった。 義経、武蔵坊弁慶を始め、義経軍の精鋭70騎の奇襲に、 本年の演題では、先陣を切って断崖を駆け降りる 総大将・源九郎義経の騎馬姿と、愛馬を労り背負って断崖を下る畠山重忠の姿を飾る。 | |
元々石割桜の有る盛岡地方裁判所敷地は、代々南部藩家老だった北家の屋敷であったが、明治維新や盛岡市の再整備により、地方裁判所に変わり、現在に至っている。
平成16年(2004年)、は組はこの石割桜の前で纏振りの行事を執り行い、 | |