平安末期、源九郎義経を総大将とする源氏は、 平家追討の軍を進め、「逆落とし」の奇襲で、 一ノ谷を一挙に攻落し、屋島の戦いでは海戦にも勝利する。
敗走を重ねる平家は、平知盛、能登守教経らを攻撃の要として、 壇ノ浦を最終決戦の場と定め、この一戦に勝負を賭けたが、 激戦の末、平氏は大敗し、総大将である平宗盛が 捕らえられた上に、平時子が幼い安徳天皇を抱いて 入水したため、ここに源平の合戦が幕を閉じた。
この戦いにおいて、平家一の猛将と言われた 能登守教経の急追を、義経は燕が飛ぶが如く、 ひらりひらりとかわし、次から次に船を飛び移ったと 伝えられている。さすがの能登守教経も、 この「義経の八艘跳び」に驚嘆し、敗戦の覚悟を決め、 源氏の兵の中でも三十人力と言われた安芸太郎・次郎兄弟を 脇に抱え、「貴様ら、死出の山の供をせよ」と、入水したと伝わる。
本年の山車は、壇ノ浦にて、源氏の総大将・源義経と、 それを追う能登守教経の姿を飾る。
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兄である源頼朝に追われ、奥州へ落ちる源義経を慕い、 吉野山まで供をした静御前だったが、 義経を無事に逃がすため、自ら頼朝の追っ手に捕まる。
その後、頼朝の前で、舞を強要され、 静御前は義経を想う心の内を 「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」 「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」 との唄と白拍子の舞で表現し、頼朝を激怒させるが、 頼朝の妻・北条政子が、 「私が御前の立場であっても、あの様に謡うでしょう」 と取り成して命を助けた。
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