畠山重忠(はたけやましげただ)―。 畠山次郎重忠は、平安時代末期〜鎌倉時代初期の武将。 元は平家方の武将だったが、後に源頼朝に臣従し、源氏方の 重臣の一人となる。
頼朝に従った後、頼朝の弟である源範頼・源義経兄弟の軍に従軍。 木曽義仲の追討(宇治川の合戦)や一の谷の戦い、屋島・壇ノ浦の戦いにおいて、幾多の勲功を挙げる。
一の谷の戦いにて、源義経は、鵯越の逆落としの奇襲を掛けんとする。 いざ、騎馬武者たちが一様に馬の背にまたがり坂を下る中、一人、 重忠だけは、馬を損ねてはならぬという理由で、自らの馬を担ぎ上げ、 鵯越の急坂を下ったと伝わる。
本年のな組は、この怪力で名を馳せた重忠の逸話を山車に飾る。 | |
盛岡市本宮に鎮座する大宮神社は、 平安時代初期、坂上田村麻呂が戦勝を祈願して 建立された約1200年の歴史を誇る古社である。
この祭神は、「豊受大神宮」といって、 伊勢神宮外宮の祭神である。
豊受大神宮は、食物・穀物を司る女神。
大宮神楽は、その大宮神社に奉納される神楽で、 天保9年(1838年)に編纂された神楽本には、 全18演目が記されている。
藩政期には、盛岡城内で幾度も神楽が披露されたという 記録があり、また、藩公(時の藩主)から下賜された神楽衣装 も残っているなど、県内でも随一の由緒ある神楽である。
本年の見返しには、この神楽の姿を飾る。
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