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本年度は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的流行に伴い、
戦後初となる山車の運行中止の判断がなされ、その代替企画として、企画展が開催されました。
本ページでは、その模様を簡素ながらお伝えさせて頂きます。
※写真・演題名をクリックすると写真を拡大表示いたしますので、是非、ごゆっくりご覧ください。
※写真提供:斉藤 和人様
原題は「楪根元曾我」といわれる、市川家由縁の歌舞伎十八番の一つ。
時節は正月。曾我五郎時致は、父・河津三郎の仇である 工藤祐経の顔を思い浮かべながら、身の丈ほどもある矢尻を研いでいる。
そこに、大薩摩主膳太夫が年始の挨拶に来て、お年玉にと宝船の絵を置いて帰る。 五郎は、砥石を枕にし、その下に宝船の絵を敷いて寝る。
すると、夢に出てきたのは兄の十郎祐成。 夢の中に出てきた兄は、仇である祐経の館に捕らえられ窮地を訴える。
五郎はびっくりして飛び起きると、これは正夢だと、大太刀を取り 身支度をし、通りかかった農夫から荷運びの馬を奪うと、 馬の背に括られた大根を鞭代わりに、祐経の館に向かって翔ぶのであった。
今年の演題では、舞台のハイライト、大矢尻を研ぎ、 見得を切る五郎時致の姿を飾る。 |
例年8月1日〜8月4日まで開催される盛岡の夏の風物詩。 「サッコラチョイワヤッセ」という 独特の掛け声と、日本一を誇る太鼓の大群舞が魅力。
かつて盛岡の地を荒らした羅刹という鬼が、 盛岡市・下小路の三ツ石神社の功徳で退治されたことを祝い、 民衆が踊ったのが発祥というのが盛岡に伝わる伝承である。
藩政時代から盛岡各地で伝承されてきた祭りであったが、 昭和53年(1978年)より盛岡の観光イベントとして統合、 近年は東北五大祭りの一つとして、知名度を増している。
2007年には太鼓の大群舞のギネス記録を達成。 「世界一の太鼓の大群舞」となった。
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令和2年 11月1日 疫病収束祈願山車運行
9月の山車運行中止の代替企画の一つとして、南部火消伝統保存会・盛岡山車推進会の助力のもと、
盛岡市消防第4分団 八幡町 い組、もりおか八幡界隈まちづくりの会、「盛岡八幡町疫病収束祈願山車実行委員会」が中心となり
万全を期した新型コロナウイルス感染症への対策を課した上、本運行を実現いたしました。
※写真・演題名をクリックすると写真を拡大表示いたしますので、是非、ごゆっくりご覧ください。
※写真提供:斉藤 和人様
原題は「楪根元曾我」といわれる、市川家由縁の歌舞伎十八番の一つ。
時節は正月。曾我五郎時致は、父・河津三郎の仇である 工藤祐経の顔を思い浮かべながら、身の丈ほどもある矢尻を研いでいる。
そこに、大薩摩主膳太夫が年始の挨拶に来て、お年玉にと宝船の絵を置いて帰る。 五郎は、砥石を枕にし、その下に宝船の絵を敷いて寝る。
すると、夢に出てきたのは兄の十郎祐成。 夢の中に出てきた兄は、仇である祐経の館に捕らえられ窮地を訴える。
五郎はびっくりして飛び起きると、これは正夢だと、大太刀を取り 身支度をし、通りかかった農夫から荷運びの馬を奪うと、 馬の背に括られた大根を鞭代わりに、祐経の館に向かって翔ぶのであった。
今年の演題では、舞台のハイライト、大矢尻を研ぎ、 見得を切る五郎時致の姿を飾る。 |
相模国と駿河国の国境・足柄(現在の静岡県駿東郡小山町) に生まれた金太郎は、熊と相撲を取れるほどの怪力の持ち主で、 後に、鬼退治の武勇で名を馳せた源頼光の家来となり、 坂田公時(さかたのきんとき)を名乗る。
頼光四天王に数えられたほどの公時は、大江山の酒呑童子を 退治するなど勲功を上げた伝説が伝えられており、その伝説から、 古来、すくすくと成長する日本男児の象徴として今日伝えられている。
本年の山車では、足柄山で動物たちと相撲をとった童話から、 熊を軽々投げ飛ばす金太郎の姿を飾る。
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