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盛岡山車に取り上げられる演題には、いくつかの傾向があります。
このページでは、これまでの歴史を踏まえてそんな傾向をご紹介します。
1.歌舞伎を取り上げた演題
近年最も多い演題として、歌舞伎物を取り上げる傾向があります。
その中でも人気なのは、 名門・市川家由縁の「歌舞伎十八番」の演題です。
「暫」や「矢の根」が中でも多く、 次いで「鳴神」や「助六」、「押戻」、「勧進帳」も取り上げられます。
他にも、「連獅子」、「鏡獅子」、「碁盤忠信」、「吉例 寿曾我対面」等、 いずれも華やかな演題は大変好評を博し、しばしば取り上げられる演題です。
歌舞伎物が主に取り上げられるようになったのは明治時代からで、 当時は主に「国姓爺合戦 和藤内」や「南総里見八犬伝」、 「菅原伝授手習鑑 車引」に人気が有りました。
いずれも、傾向としては時代時代の人気作品ばかりということで、 その華やかさと人気から、現在でも多く取り上げられるのだろうと思われます。
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歌舞伎を飾った山車 (平成19年 盛岡観光コンベンション協会 風流 歌舞伎十八番の内 矢の根) 歌舞伎を飾った山車 (平成22年 盛岡観光コンベンション協会 風流 歌舞伎十八番の内 暫) |
2.軍記物を取り上げた演題
盛岡山車で多く取り上げられる演題として、 軍記物の名場面も挙げられます。
殊に、岩手県に縁のある源義経や源平合戦にちなんだ演題は、 過去大変多く、山車の演題として取り上げられてきました。
源義経だけを見ても、「牛若丸(五條大橋)」、 「鵯越の逆落とし(一の谷の合戦)」、 「義経弓流し(屋島合戦)」、「義経八艘飛び(壇ノ浦の合戦)」と、 生涯を彩るエピソードのほとんどが山車の場面に取り上げられております。
また、地元に所縁のある前九年の役や後三年の役に関連して、 源義家(八幡太郎義家)、源頼義や 安倍貞任・宗任兄弟なども取り上げられました。
他にも、平安時代の演題としては、 「源為朝(鎮西八郎為朝)」や「源頼政(源三位頼政)」、 「巴御前」など、平安時代の武将や名場面・伝説が 好まれる傾向があります。
室町時代の演題は、「楠木正成(大楠公)」や 「新田義貞」等、「太平記」に関する武将の場面が好まれます。
戦国時代の演題としては、加藤清正や柴田勝家、 真田幸村などが過去取り上げられてきました。
先人の功を称える、もしくは先人の伝説への憧れなど、 古来から伝わる武勇伝を今に伝えるという意味では、 大変意義のある演題の傾向ではないかと思われます。 |
軍記物を飾った山車 (平成23年 盛岡観光コンベンション協会 風流 義経八艘飛び) 軍記物を飾った山車 (平成16年 肴町 一番組 風流 巴御前奮戦) 軍記物を飾った山車 (平成18年 鉈屋町 め組 風流 義経弓流し) |
3.神話や神を取り上げた演題
神話を取り上げた演題は、 江戸時代から残る大変歴史の深い演題の一つです。
山車自体が、「盛岡八幡宮」への奉納物であるため、 神の依り代として神を模した演題を飾ることは、 考えてみれば理にかなうことだと思われます。
近年は余り数は多くありませんが、 この傾向では「八岐大蛇(スサノオノミコト)」が取り上げられます。
過去、江戸時代から明治・大正時代には、 「天照大神」や「日本武尊」、 「天細女命(アメノウズメノミコト)」や七福神(恵比寿様や大黒様)等、 神に関する演題も多く取り上げられていたようです。
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神話を飾った山車 (平成21年 盛岡観光コンベンション協会 風流 八岐大蛇) |
4.先人を称える演題
先人を称える演題も、江戸時代から残る 大変歴史の深い演題の一つです。
近年では、南部藩主(南部信直公、南部利直公、 南部重直公、南部重信公)が主に取り上げられますが、 他にも、前九年の役、後三年の役に関連して、 安倍貞任・宗任兄弟等が取り上げられたり、 山車にも大きく寄与した化粧師・富沢茂氏や 植木屋・藤村益次郎氏等も取り上げられたことがあります。
過去を振り返ると、明治時代には、日露戦争で戦死した 旧南部盛岡藩主・南部氏の末裔である南部利祥中尉が取り上げられたり、 大正時代には盛岡出身の宰相、原敬が飾られたこともあり、 明治・大正時代は、時代や世相を反映した地元の英雄が大変人気があったようです。 |
先人を称える山車の例 (大正15年 新馬町 水原町 若者連 風流 世界の偉人 原敬)
人形頭部:清水町・南昌荘において展示されたものを撮影 番付:もりおか歴史文化館 収蔵
先人を称える山車の例 (平成22年 本町 二番組 風流 南部重直公)
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5.奉納物を飾った山車
奉納物を飾った演題も、盛岡山車の歴史上、 非常に多く取り上げられてきた演題の一つです。
昭和後期から近年では、めっきり取り上げられなくなりましたが、 かつては山車自体を、「八幡宮への奉納物」として奉納していたため、 山車に、大きな鏡を奉ったり、八幡宮へ奉納する衝立を飾ったりと、 様々な趣向があったようです。
江戸から明治期には、他にも幟やお供え物、 米俵等を飾ったこともあるようです。 |
奉納物を飾った山車の例 (大正14年 八幡町 い組 八幡宮衝立) 奉納物を飾った山車の例 (昭和21年 菜園大通 青年会 風流 米俵) (清水町・南昌荘において展示されたものを撮影) |
6.動物を飾った山車
動物を飾った山車も、奉納物同様、 かつて演題として大いに取り上げられました。
明治期から昭和期にかけて、蛸や蛾、蝶、鯛等を 張子細工で飾ったという傾向が記録に残っております。
恐らく、これも山車自体が「奉納物」という考え方から、 山車に「神様への捧げ物」としての飾り付けを 施したのだろうと思われます。
当時は、「見返し」を飾る習慣が特に決まっていなかったこともあり、 大きな張子細工1体で飾られた演題ですが、 近年は「見返し」を飾る習慣が定着したため全く飾られることがなくなりました。
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動物を飾った山車の例 (昭和25年 魚市場 風流 大鯛) |