第1分団として仙北町を拠点に活動。
その設立は江戸時代の寛政年間(1700年初頭)に遡り、
かつては「ろ組」を称した。
文化10年(1813年)、南部利敬公の治世の元、
南部火消の組織再編が行われ、「はノ字組」と改称。
現在の「は組」という名前が記録に現われるのは、
明治6年(1873年)時点の記録からである。
昭和14年(1939年)の組織再編の際、盛岡市警防団第1分団に編成され、
戦後、この組織を継承する形で、盛岡市消防団第1分団となる。
纏はかつては芥子の実に枡の「芥子枡」(=消しますの洒落)だったが、
これを江戸火消に倣って、八幡町 い組(第4分団)の源氏車と交換。
以降は、「源氏車」を組の印しとして使用している。
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