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住所:盛岡市肴町9-31
電話:019-651-5076
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第3分団として肴町(旧馬町)を拠点に活動。
盛岡の火消組で最も歴史のある消防組である。
その歴史は、天明3年(1783年)6月、 盛岡に永住した加賀藩出身の鳶・伝之丞、惣八が 南部藩第35代利正公の命によって組織したことに始まり、 以降、藩お抱えの「御用火消」として消防の任に当たる。 当時は、「いろは組」を称した。
明治9年(1876年)、6月23日に「いろは組」から「一番組」に改称を許される。
明治13年(1880年)には、油町 二番組、長町 三番組と共に、 岩手県の御用鳶に指定される。
明治23年(1890年)、盛岡市の消防区域として大区制が敷かれ、 一番組は盛岡市第3区として馬町、十三日町等 杜陵地区界隈の統括組織となる。
4年後の明治27年(1894年)には、盛岡消防組第2部に編成される。 昭和14年(1939年)の警防団組成の際に盛岡市警防団第3分団に編成され、 戦後、これを継承する形で盛岡市消防第3分団として現在に至る。
纏は城内本丸の火災のとき、抜群の働きをした功績に対して、 南部藩士より払い下げをうけた馬印を引き継ぐものである。
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