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住所:盛岡市本町通1-11-24
電話:019-622-3406
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第6分団として本町(旧・油町)を拠点に活動。
肴町 一番組と並び、 盛岡の火消組で最も歴史のある消防組の一つである。
その歴史は、天明3年(1783年)6月、 馬町に「いろは組」(現・肴町 一番組)を組織した 加賀藩出身の鳶・伝之丞、惣八の弟分である甚七と 盛岡城下の25人の若者によって油町(現・本町)に組織されたことに始まる。
組織当時は、「ゑ組」を称した。
明治9年(1876年)、南部火消の組織が岩手県政の管轄下に入ると、 「いろは組」の「一番組」への改称に倣い、「二番組」に改称。
明治13年(1880年)には、馬町 一番組、長町 三番組と共に、 岩手県の御用鳶に指定される。
明治23年(1890年)、盛岡市の消防区域として大区制が敷かれ、 二番組は盛岡市第6区として油町、下小路、山岸町、上田小路等 盛岡市街北部の統括組織となる。
4年後の明治27年(1894年)には、盛岡消防組第6部に編成される。 昭和14年(1939年)の警防団組成の際に盛岡市警防団第6分団に編成され、 戦後、これを継承する形で盛岡市消防第6分団として現在に至る。
纏は第6分団を示す「六」の字を組の印しとして使用している。
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