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住所:盛岡市長田町10-1
電話:019-651-8591
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第8分団として長田町を拠点に活動。
その歴史は、寛政11年(1799年)2月17日、 田町(長町・現・長田町)の若者25名が連名で、 南部藩第36代・利敬公に嘆願し火消組を組織したことに始まる。 盛岡の町人から声を上げ誕生した、 事実上「盛岡発」の最初の火消組といわれている。 当時は、「玉組」を称した。
弘化3年(1846年)には、長町に龍組(龍吐水組)が創設される。 以降、長町の火消組には、この玉組と龍組が並存する。
明治9年(1876年)、6月23日に馬町(現・肴町)の「いろは組」が 「一番組」に改称を許された際には、 油町(現・本町)二番組と共に、これに習い「三番組」に改称。
明治13年(1880年)には、馬町 一番組 油町 二番組と共に、 岩手県の御用鳶に指定される。
明治23年(1890年)、盛岡市の消防区域として大区制が敷かれ、 三番組は盛岡市第8区として長町、仁王小路、材木町、大沢川原等、 盛岡の北西地区の統括組織となる。
4年後の明治27年(1894年)には、盛岡消防組第7部に編成される。 昭和14年(1939年)の警防団組成の際に盛岡市警防団第8分団に編成され、 戦後、これを継承する形で盛岡市消防第8分団として現在に至る。
纏は大八車を組の印しとして飾る。 |
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