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明治初期、盛岡市に電線や高架が張り巡らされる前、

盛岡の山車は全高約9mの高さを誇るもので、

山車が倒れないように演題を飾る盆の下から、

四方に控え綱を張って安定を図ったものでした。

 

また、盆の下には、奉納の山車であることを示す「八幡宮」と書かれた

万燈(まんどう)が付き、その下に盆を囲む盆綱、紅白幕が続く作りでありました。

 

その面影を現代に復元したのが、この「明治期の山車」です。

 

 

※演題名・写真をクリックすると、拡大写真が見られますので、是非ご覧ください。

 

 

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国姓爺合戦は、江戸時代の作家近松門左衛門の浄瑠璃作品。

 

和藤内とは、江戸初期の実在の人物で

「国姓爺鄭成功(ていせいこう)」であるといわれている。

 

明朝の臣・鄭芝龍と日本人の妻の間に生まれた和藤内は、

明朝再興のため、中国に渡る。そこで、腹違いの姉・錦祥女が

敵である韃靼に組する五常軍甘輝の妻であるという事実を知り、

甘輝を味方につけようとするが、甘輝は運悪く不在。

 

そこで錦祥女は甘輝が頼みを聞き入れたら白粉を、

聞き入れられなければ紅を流すと和藤内に告げる。

 

やがて、甘輝が帰ってくると、錦祥女は和藤内を助けることを

甘輝に懇願するが、甘輝は韃靼の王から和藤内追討の命令が

あったということと、妻の縁で味方したといったら恥辱だという考えで、

承知しなかった。

 

山車の場面は、和藤内が白粉の流れを待つ場面であるが、

結局は紅が流れてきたため、紅流しの場面といわれている。

 

ちなみに、和藤内とは、近松門左衛門が考え出した

「和でも唐でもない」との洒落であるといわれている。

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甘輝の承諾が得られず、紅を流す錦祥女の姿。

 

この山車では、紅粉を流しているが、

実際の話では、甘輝の承諾が得られず、錦祥女は自害して、

川のせせらぎを伝って、その血が和藤内の元へ流れていったという。

 

 

 

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