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管理人の一番好きな山車平成16年 盛岡観光コンベンション協会風流 連獅子 見返し 鞍馬山
見事な親獅子と仔獅子は、今でも写真を見て感動するくらいです。
現在、「もりおか歴史文化館」にて、永久展示となっているこの山車ですが、 平成16年、盛岡の秋空の下を練り歩いた時が、最も美しかったと思います。
ふわりと風になびく、親獅子の白毛、そして、仔獅子との紅白のコントラスト、 まさに盛岡山車の「様式美」を体現しているというにふさわしいと感じました。
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おまけ 管理人作のミニチュア山車・山車番付のご紹介
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ミニチュア山車
風流「連獅子」
盛岡観光コンベンション協会の山車 「連獅子」に触発されて作ったもの。
急ごしらえ、素材にもこだわりがなく、 雑な出来だったことが今となっては 悔しいです。 |
ミニチュア山車
風流「高館の戦い」
完全オリジナル。
弁慶と義経が立っている姿を 作りたかったという一念だけで作った作品。 鎧は実際に縫って作っており、 大変気の遠くなる作業だったが、 これももっとこだわりたいと思わせる出来。 | ||
見返し「日本銀次」
火消しの鑑、日本銀次です。
煙を綿で作り、背景に書き割りの城を 描きこみました。 |
見返し「歌舞伎十八番の内 矢の根」
矢の根五郎を作りました。 砥石と背景の富士山が個人的には こだわりポイントです。 | ||
新選組局長・近藤勇 風流「池田屋事件」
肥後藩士・宮部鼎蔵を睨み付ける 新選組局長の近藤勇の頭を作りました。
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肥後熊本藩士・宮部鼎蔵 風流「池田屋事件」
左の近藤勇に対して、 返り討ちにしようと奮戦する 肥後藩士・宮部鼎蔵の頭です。 | ||
五条の悪僧・武蔵坊弁慶
高館の戦いの弁慶とは異なり、 邪悪さ、不気味さを意識して作った 弁慶の頭です。 目線の先の「牛若丸」は作っておりません。 |
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2010年作 「連獅子」
秋風用に、初めてちゃんと描いた番付です。 |
2010年作 「連獅子」
昭和53年 盛岡観光協会が初参加した 山車の番付をイメージして描いたものです。 | ||
2012年作 「八岐大蛇」
2013年の年賀状用に描いた八岐大蛇。
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2013年作 「鹿島大明神と地震鯰」
2013年1月に東京で開催された ふるさと祭り東京で、 青森県五所川原の立佞武多 「鹿島大明神と地震鯰」を見て、 盛岡山車の番付として描きたいと思って 描いた作品です。 | ||
2013年作 「連獅子」 原点回帰。
番付絵の第一人者である 川島圭さんの絵をお手本にし、 自分なりのアレンジを加えて描いた作品。
3年前の作品とは全く別物になりました。 |
2013年作 「鵯越の逆落とし」
「盛岡山車番付名鑑」を編纂している間、 近年取り上げられていない演題や、 その番付に大変興味を持ちました。
そして、私なりにそんな演題を 描きたいと思い、描き始めた第1弾。
義経一の谷は、長い間同じ絵柄が 番付に使われておりましたが、 こうして自分なりの絵として 描くことができました。
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2015年作 「鳥居前」
岩手町秋祭り・愛宕組様よりご依頼を頂き、 初の正式な山車番付を製作させて頂きました。
伏見稲荷の大鳥居を大きく描き、 「鳥居前」という舞台を際立たせると共に、 赤にも濃淡・明暗のコントラストを付け、 源九郎狐の華やかさを私なりに表現させて頂きました。
※愛宕組様の掲載許可を頂いた上、掲載しております。
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2016年作 「歌舞伎十八番の内 矢の根」
前年に引き続き岩手町秋祭り・愛宕組様よりご依頼を頂き、本年も正式な山車番付を製作させて頂きました。
本年は背景に富士山を雄大に描き、 矢の根のストーリー性を表現しながら、 曾我五郎時致の豪気さを際立たせるように、 私なりに表現させて頂きました。
※愛宕組様の掲載許可を頂いた上、掲載しております。 |
管理人・略歴
小山 優(おやま まさる)「akikaze_masa」
昭和62年(1987年)11月 岩手県盛岡市生まれ。
盛岡市立下小路中学校、
私立岩手高等学校(ラグビー部)、
駿河台大学法学部法律学科卒業。
平成26年(2014年)秋、それまで勤めていた広告制作会社から転職。
現在、東京都内の広告代理店にて企画プランナーとして従事。
主に場づくりのコンセプト作りやまちづくりの企画・実行を担当。
盛岡秋まつり山車には、
平成18年(2006年)より、盛岡観光コンベンション協会の大太鼓として参加。
平成18年〜平成21年(2009年)の大学在学中には、
夏休み期間を利用して盛岡観光コンベンション協会の山車製作にも携わる。
平成24年(2012年)5月、東北六魂祭2012に参加。
2日間累計約24万人の大観衆を前に盛岡山車が練り歩いたこと、
また、その中で、大太鼓を叩いたことに心より感動した。
東日本大震災が起こった平成23年(2011年)は、多忙であったが、
夜行バスで9月14日の当日朝に帰盛。1日のみ参加し、
14日の夜行バスで帰京。翌15日には、通常通り出勤という強行軍を敢行。
自他ともに「祭りバカ」と認めたほど、盛岡山車を愛してやまない。
多数の消防団や同好会でなく、盛岡観光コンベンション協会に参加を続ける理由は、
「盛岡の観光のランドマークたる観光協会が、一番盛岡山車をアピールしやすい」から。
■ 「盛岡山車 非公式サイト 秋風」の「公式的」な実績 ■
★ 2012年〜
秋まつり期間中、もりおか歴史文化館の山車紹介パネルの製作に助力。
★ 2013年、盛岡山車推進会設立55周年記念誌作製にあたり、
当ページの「盛岡山車番付名鑑」の番付データを提供。
同年11月17日、盛岡グランドホテルにて挙行された55周年記念式典にて、
上記協力に対して感謝状を賜る。
同式典では、祝賀会会場用の映像に、
盛岡山車ならびに周辺市町村の山車団体の半纏イラストを提供。
★ 2014年1月11日〜3月9日を会期としてもりおか歴史文化館にて行われる
「南部火消の世界〜粋でいなせな男たち〜」の各分団紹介用の半纏イラストを提供。
★ 2014年6月20日、ショートショートフィルムフェスティバル&アジア主催
第3回観光映像大賞ファン投票部門・「旅もじゃアワード」に「盛岡秋まつり山車」紹介ムービーを出展。
当年出展全570作品中第1位に輝く。
★ 2014年岩手町秋祭りリーフレットの「大町組」(演題:歌舞伎十八番の内 矢の根)解説文を提供。
★ 2015年9月、岩手日報折込のフリーペーパー「ぽらん」の記事内容監修
2015年10月、岩手町秋祭りの「愛宕組」奉納演題 風流「鳥居前」の山車番付製作。
夢に見た、番付絵師としての処女作「鳥居前 源九郎狐」を奉納。
★ 2016年10月、前年に引き続き岩手町秋祭り「愛宕組」奉納演題 山車番付を製作。
★ 2016年11月、台湾・花蓮縣で行われた「花蓮温泉季」に盛岡山車推進会様に帯同し参加。
(台湾側のホームページでは、公式ページ扱いで当ページを紹介して頂きました)
★ 2017年8月、宮城県黒川郡大衡村にて開催された「大衡万葉まつり」にて、盛岡山車推進会様に帯同し参加。
※今後も、多方面に活動して参りたいと思っております!!
管理人より一言
「秋風」をご覧の方々、はじめまして。masaです。
そして、このページまでご覧いただきまして、本当にありがとうございます。
(このページをご覧になるという方は、本当に山車がお好きな方だと思います。うれしい限りです。)
私自身、盛岡山車は、3歳の頃から好きでした。
幼少の頃、私が盛岡の山車で一番好きだったのは「演題の場面」。
それを象徴するエピソードがあります。
親の話によれば、わずか3歳にして、当時テレビで放送された歌舞伎
「義経千本桜」を夜中までじっと見ていたようで、「源九郎狐」や「狐忠信」など、
山車にも関係深い同作品を、親が呆れるほど見とれていたところから、
山車に刺激されて歌舞伎を見るほど、当時から山車が好きだったようです。
さて、当サイトですが、
これまで「盛岡八幡宮の山車」を専門に紹介するサイトが少なかったので
ずっと貯めてきた写真を役に立てたいと、このページを開設しました。
当サイトの理念
「山車を知らない人に少しでも好きになってもらう」 |
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盛岡山車を知らない方々にとって、あるいは、 盛岡山車に興味を持っているすべての人々にとっての 「盛岡秋まつり山車」の入り口になりたい。 |
「盛岡山車の盛岡の観光における地位の向上」 |
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盛岡、岩手の観光情報や盛岡山車の最新トピックスを 積極的に受発信することで、「盛岡秋まつり山車」という名前を 様々な場面で認知してもらいたい。 |
「21世紀のお祭りの形の提案」 |
→ |
遠隔地にいる盛岡出身者、外国人、観光客、 そしてもちろん市内の人々に向けて、 現地の最新の生のお祭り情報をあらゆるメディアを駆使して送り、 現地にいなくても、お祭りを近くに感じられるようにしたい。 |
であります。
何かと盛岡の山車行事について、手厳しい意見を仰る方も少なくないので、
小さい頃から好きな私は大変ショックだったのです。
ですから、山車を知らないし、全く興味がなかったという方には、
少しでも好きになっていただきたいし、「盛岡の山車って世界に誇れるんだぞ!」と
誇りに思っていただけたら嬉しいと思っています。
もちろん、少しでも興味のある方は、こんな山車もあったのかぁとか、
これは素晴らしいなぁとか、いろいろ感想を持って、
さらに盛岡山車にハマっていただけることを願ってやみません。
私は平成18年、盛岡観光コンベンション協会「助六」にて、初めて山車参加をいたしました。
ずっと、小さい頃から見てきた山車に出ることは憧れであり、この宿願が成就したことを嬉しく思います。
歴史と伝統深き盛岡の山車行事。
内陸の秋まつり行事では盛岡のほかに、
八幡平市、紫波町、岩手町、葛巻町、石鳥谷町、一戸町、大迫町でも、
この盛岡の山車の形が受け継がれ、各地で様々な発展を遂げております。
また、沿岸・久慈市の久慈秋祭りや「日本一の山車祭り」を標榜する
青森県八戸の八戸三社大祭の山車も、旧南部領のお祭りとして、
そのルーツは、盛岡の山車にあると伝わります。
何といっても、盛岡の山車は、江戸時代に隆盛を極めた江戸・神田祭や山王祭の
山車の系譜を受け継ぎ、今なおその姿を伝えている由緒ある山車祭りなのです。
そんな「北東北の拠点」ともいえる盛岡の秋祭りを、
たくさんの人に見ていただき、たくさんの人に好きになっていただきたいと願っております。
これからもこの「秋風」は、様々な工夫を凝らして進化させていくつもりですが、
そのためには、この山車を好きになってくださる皆様のご協力が必須となってきます。
ご覧になっている皆様が持っている、古い山車の写真、番付、音頭、
その他の文献等の資料、何でも構いません。
その貴重な情報を、インターネットという大きな「記録媒体」に残すことで、
由緒ある盛岡の山車祭りを後世に残していけたらと、切に願います。
また、「秋風」に対しても、皆様の忌憚のないご意見・ご感想をお待ちしております。
何卒よろしくお願いいたします。