平成16年度盛岡山車

盛岡市八幡町い組 風流 雨の五郎2004igumifuryu.JPG

演題解説

歌舞伎の長唄「雨の五郎」で「廓通いの五郎」とも言われる。

曽我五郎時致が、仇を狙う強さの内にも、金糸・銀糸の蝶の模様の着付けで、

化粧坂の少将の許へ通う華やかな場面の再現である。

見返し かむろ2004igumimikaeshi.JPG

演題解説

曽我五郎の仇討ちを手伝い、恋文の入った文箱を運ぶ禿(かむろ)の場面を飾る。

仙北町は組 風流 南部騎馬軍団 南部信直公 利直公

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演題解説

盛岡藩開祖である二十六代信直公は盛岡城築城をなし、現在の盛岡の基盤を作ったのである。

第二十七代利直公は、初代藩主となり、盛岡城築城の総指揮を取り、城下の整備、領内の安定・暴徒鎮圧と

身の上ただならぬものであった。この山車では、勇壮豪華な二人を飾ったものである。

なお、左が信直公、右が利直公である。

見返し 石割桜 纏振り

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演題解説

盛岡の名所のひとつに石割桜がある。

この石割桜は、南部藩の家老だった北家の屋敷跡で、

花崗岩にひび割れができ、桜の種が落ち込んで、

生育したものだといわれている。

仙北町は組は平成十六年四月、この桜の下で、

纏振りを執り行った。その様子を山車に飾ったのである。

盛岡市旧馬町 一番組 風流 巴御前奮戦

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演題解説

倶利伽羅峠の戦いなどで武勇を残し、自ら征夷大将軍を名乗った

木曽義仲は、源氏の総大将源義経のために、京を追われ、今や

主従わずか十三騎。その中でわずか一騎、髪をなびかせた美しい顔があった。

これこそまさに巴御前。畠山重忠の軍勢が手柄にと討ち取ろうとするが、逆に

蹴散らされてしまう。勇猛果敢なその立ち回りは、重忠にとって鬼神のように見えたという。

この時巴の歳は、二十二、三だったという。

見返し 花咲爺

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演題解説

「枯れ木に花を咲かせましょう」で有名な、おとぎ話の場面である。

盛岡市中の橋通 の組 風流 碁盤忠信

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演題解説

時は、鎌倉の初め。源義経を奥州へ落とす際、主君の身代わりとなった佐藤忠信の奮戦振りを、

歌舞伎狂言に取り入れ、碁盤片手に北条方の討手を蹴散らす忠信。

市川流の荒事に仕立て、元禄時代に上演されたとあり、明治44年には、七世松本幸四郎の

襲名披露に演じられたと伝わるものである。

見返し わんこ娘

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演題解説

わんこそばと言えば盛岡名物として名高い。

そばを配る南部姉っこの「はいどんどん、はいじゃんじゃん」という声が、

今にも聞こえてきそうな場面である。

盛岡市神子田 盛山會さ組 風流 碁盤忠信

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演題解説

時は、鎌倉の初め。源義経を奥州へ落とす際、主君の身代わりとなった佐藤忠信の奮戦振りを、

歌舞伎狂言に取り入れ、碁盤片手に北条方の討手を蹴散らす忠信。

市川流の荒事に仕立て、元禄時代に上演されたとあり、明治44年には、七世松本幸四郎の

襲名披露に演じられたと伝わるものである。

この年、「碁盤忠信」がの組とさ組の2つの組から曳き出された。こういったケースは、これまで

あまりなかったと思う。しかしながらどちらも、趣向の違う碁盤忠信で、見ごたえがあり、

とても新鮮に感じられた。

見返し 義経千本桜より 源九郎狐

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演題解説

初音の鼓を手にする佐藤忠信。しかし、その顔の隈取は獣のまゆに火焔隈。

実は、忠信の姿を借りた狐である。

義経千本桜でも、一際華やかな「鳥居前」より、源九郎狐を再現している。

 

ちなみに、私としてはこれを風流として使ってもいいと思うくらい好きな見返しでした。

盛岡市前潟 わ組 風流 国姓爺合戦 和藤内 千里ヶ竹の場

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演題解説

国姓爺合戦は、江戸時代の作家近松門左衛門の浄瑠璃作品。

和藤内とは、江戸初期の実在の人物で「国姓爺鄭成功(ていせいこう)」であるといわれている。

明朝の臣・鄭芝龍と日本人の妻の間に生まれた和藤内は、明朝再興のため、

中国に渡る。義兄・五常軍甘輝を味方につけるべく、甘輝の住む獅子ヶ城を目指す途中、

世間を騒がせ、住民に多大な被害を与える猛虎を母より授かった伊勢神宮の護符の

威徳によって退治し、勲功を得る場面である。

見返し 藤娘

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演題解説

歌舞伎「歌へすがへす余波大津絵」より。藤の花の精が、娘の姿で現れ、

夕暮れの鐘の音とともに消えていく。

藤の枝を片手に、黒塗りのかさを被って優雅に踊る。

日本舞踊としても有名な本題は、昔から人気が高かったといわれている。

盛岡観光コンベンション協会 風流 連獅子

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演題解説

能舞台を模した松羽目物の大曲で、獅子が我が子を断崖から突き落とす

試練を取り上げた演目である。ある日、日本の仏僧が、天竺清涼山の石橋を渡ろうとすると、

修行が未熟なものには渡れないと咎められる。そこに、狂言師の右近と左近が獅子頭を持って現れ、

この橋の謂れを語る。次に、この清涼山に、浄土宗の坊主と日蓮宗の門徒が登場。

異なる宗旨をめぐって争っていると、恐ろしい物音と共に白毛の親獅子と赤毛の子獅子が登場し、

頭を振り回し、親子の「試練と情」を演じる。

なお、この山車は盛岡八幡宮境内の山車資料館に永久保存されている。

見返し  鞍馬山

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演題解説

源氏の大将の子ということで、時の平氏の政権から遠ざけられた九男・牛若丸は、

鞍馬山で成長。やがて、遮那王と名を変え、僧正ヶ谷に住む大天狗・僧正坊に出会い、

武術の指南を受ける。この山車では、遮那王と小天狗が剣術の稽古をする様を再現している。

 

 

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