平成15年度盛岡山車

盛岡市八幡町い組 風流 夜討曾我

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演題解説

 父・河津三郎の仇をとるため、曾我五郎時致と曾我十郎祐成が、

富士の裾野にて催される鎌倉殿(源頼朝)主催の夏狩りの

総奉行・工藤祐経の館に夜討をかける場面である。

なお、私個人としては、この夜討曾我が「い組」の山車の中で一番好きな演題である。

見返し 大磯の虎

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演題解説

 大磯の太夫職・虎御前が工藤の館へ五郎・十郎を手引きする場面である。

 

 盛岡市 青山組 風流 甕割り柴田

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演題解説

 元亀元年、織田信長の家臣・柴田勝家が篭る近江長光寺城は、

六角・一向宗連合軍によって攻め寄せられていた。勝家はよく防いだが、

長光寺城には井戸がなく、敵は城内への水を断つ干殺しの攻めに出る。

羽柴秀吉の援軍も間に合わず、もはや一刻を争う事態となった。

そこで勝家は、甕いっぱいの水を家来に飲ませると、甕を割り、

もう水がないことを告げ、士気を鼓舞した。これによって、

勝家軍は全員、火の玉の如く敵陣に突入。恐れおののいた敵軍は、

総崩れとなり、柴田軍が大勝利をおさめたのである。

見返し 松千代

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演題解説

 初世文字太夫に始まる常磐津節の家元は、現在九世文字太夫まで、

十六代を数え、その菩提所は麻布広尾の祥雲寺にある。

「千代の遊鶴」は、三味線方の岸沢式佐家との関係が、夫婦仲のよい

鶴のように、幾千年も続けられるように祈念されているものである。

盛岡市中野 と組 風流 源頼朝初陣

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演題解説

 平治の乱にて、危うく一死を免れた源頼朝は、十四歳で伊豆に

島流しにされた。二十年後、頼朝三十四歳のとき、以仁王の

令示によって、平氏追討の兵を挙げることとなった。

手始めに、伊豆の目代山木兼隆を急襲して倒し、初陣を勝利で飾った。

この山車は、その出陣の場面を飾ったものである。

見返し 福助

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演題解説

 1802年、長寿で死んだ摂州西成郡の百姓左右衛門の子、

佐太郎は身長が二尺に満たない大頭の小人であった。

しかし、これが幸いして、幸運に恵まれた生涯を送ったことからその姿を

福徳招来の縁起物とし、江戸で「叶福助」の人形が流行したという。

盛岡市 南大通二丁目 風流 歌舞伎十八番の内 景清の牢破り

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演題解説

 藤原景清は、平安末から鎌倉初期の武将で、俗に平景清とか悪七兵衛ともいわれる

剛勇無双の平家一の荒武者であった。この「牢破り」の場面は、景清が捕らえられていた

牢屋の格子をぶち破り、暴れまわる荒事を見せる場面である。

なお、この南大通り二丁目は、盛岡で町内会として唯一、山車に参加している。

見返し 京鹿子娘道成寺

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演題解説

 紀州道成寺に伝わる安珍・清姫の伝説を歌舞伎に舞踊化。

舞台は桜が満開の道成寺。再興した鐘の供養が始まろうとしている。

そこに清姫の亡霊が白拍子となって現れ、舞を見せているうちに

鐘に飛び込み蛇体となって現れるが、押戻しによって屈服させられる。

この山車は、白拍子の姿で舞を踊る清姫の亡霊を飾っている。

盛岡市中の橋通 の組 風流 暫

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演題解説

鶴岡八幡宮にて、悪人・清原武衡に言いがかりをつけられた、加茂次郎義綱らが

襲われそうになったとき、歌舞伎界のヒーロー、鎌倉権五郎景政が「しばらく、しばらく」

の声とともに、花道より登場する、歌舞伎の世界で最もポピュラーな演題である。

俗に成田屋と呼ばれる市川家由縁の「歌舞伎十八番」として、今も上演される。

見返し  藤娘

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演題解説

 歌舞伎「歌へすがへす余波大津絵」より。藤の花の精が、娘の姿で現れ、

夕暮れの鐘の音とともに消えていく。

藤の枝を片手に、黒塗りのかさを被って優雅に踊る。

日本舞踊としても有名な本題は、昔から人気が高かったといわれている。

盛岡市 城西組  風流 歌舞伎十八番の内 不動より 不動明王

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演題解説

歌舞伎十八番の内「雷神不動北山桜」より。前幕(鳴神)で、鳴神上人を堕落させた

雲の絶間姫は、文屋豊秀と晴れて祝言の運びとなる。しかし、雲の絶間姫に思いを寄せ、

鳴神上人を殺した早雲の王子が現れ、二人を苦しめる。

そこに突然、不動明王が現れ、燃え上がる火焔を背に、憤怒の形相、右手に宝剣・左手に

羂索を持ち、悪を滅ぼし善人を救うべく大座に構えている場面です。

見返し 雨の五郎

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演題解説

歌舞伎の長唄「雨の五郎」で「廓通いの五郎」ともいう。

曽我五郎時致が、仇を狙う強さの内にも、金糸・銀糸の蝶の模様の着付けで、

化粧坂の少将の許へ通う華やかな場面の再現である。

盛岡市油町 二番組 風流 川中島

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演題解説

川中島の戦いというのは、実は十二年間に、五回も起こっている。

これを近松門左衛門が浄瑠璃にて、「信州川中島合戦」と、近松半二の

「本朝廿四孝」、歌舞伎では河竹黙阿弥の「川中島東都錦絵」に脚色。

信玄と謙信の一騎打ちも、この脚色だといわれている。

見返し  南部梯子乗り

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演題解説

消防出初式には、直立した梯子に乗り、上で曲芸をする。

この演目は「金の鯱」である。

盛岡市神子田 盛山會さ組 風流 参会名護屋

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演題解説

歌舞伎十八番の内「暫」の原題は、「参会名護屋」である。

初代市川団十郎が演じたものが、その最初といわれている。

このさ組の「参会名護屋」は、七代目団十郎の不破伴左衛門と

「しばらく」とあずかる八代目団十郎の篠塚伊賀守の名伎の勇姿を

飾るものである。

なお「暫」は、今でこそ鎌倉権五郎景政と定められているが、この当時は、

「しばらく、しばらく」と花道から出てくる主人公を、「暫」と呼んでいたと言う。

この「参会名護屋」では上記の通り、篠塚伊賀守とされている。

見返し  藤娘

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演題解説

歌舞伎「歌へすがへす余波大津絵」より。藤の花の精が、娘の姿で現れ、

夕暮れの鐘の音とともに消えていく。

藤の枝を片手に、黒塗りのかさを被って優雅に踊る。

日本舞踊としても有名な本題は、昔から人気が高かったといわれている。

盛岡観光コンベンション協会 風流  土蜘蛛の精

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演題解説

河竹黙阿弥によって書かれた、 平家物語にある源頼光の妖怪退治を取り上げた歌舞伎の演目。

病床の源頼光を訪ねた僧の姿に、不審を覚えた頼光が切りつけると、僧は蜘蛛の糸を投げて逃げ去った。

この騒ぎに、独武者がかけつけ、軍勢と共に土蜘蛛退治に出発する。

この山車では、土蜘蛛の精が軍倅を踏みつけている場面を再現したものである。

なお、この年から「盛岡観光協会」から「盛岡観光コンベンション協会」に団体名を変更した。

見返し  汐汲

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演題解説

歌舞伎舞踊のひとつで、海女の松風が「在原行平」の形見の烏帽子狩衣を着て、

恋人を偲ぶ振りをするところを演題にしている。       

 

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